【画像20選】見栄晴の若い頃!子役・欽どこ時代から最新画像までまとめ

タレント・アイドル
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タレント・俳優としてテレビや舞台で活動する見栄晴(みえはる)さん。

「劇団いろは」に所属して子役としてデビューして以来、お茶の間の人気者として活躍しされています。

この記事では、見栄晴さんの子役時代から現在の画像までをまとめて紹介していきたいと思います。

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幼少期~子役時代

見栄晴さんは、「劇団いろは」という名門劇団に所属し、子役として活動していました。

劇団いろはは、片岡鶴太郎さん・林寛子さん・えなりかずきさんなど、有名な俳優さんを多数輩出しています。

見栄晴さんは、4歳の頃に劇団いろはへ入団し、大人気番組「仮面ライダー」や、子ども向けドラマ「パン屋のケンちゃん」へ出演されたそうです。

1歳の頃
仮面ライダー
仮面ライダー
「パン屋のケンちゃん」
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「欽ちゃんのどこまでやるの!?」時代

見栄晴さんが一気にお茶の間の人気者になったきかっけが、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」でした。

「欽どこ」として親しまれたこの番組は、ホームドラマの形式で公開収録された人気番組。

萩本欽一さんと真屋順子さんが夫婦を演じる「萩本家」に、毎回ゲストが訪れるという形式だったそうです。

1982年、当時高校生の見栄晴さんは、萩本家の長男・見栄晴役のオーディションに参加

見事に役を勝ち取ったことで、一気に知名度が上昇します。

以降、欽ちゃんファミリーの一員としてテレビ出演が多くなりました。

左から2番目が見栄晴さん

1990年代前半までは、本名の藤本正則名義で出演していたものの、視聴者からは「見栄晴」として認知され、出演者からも「見栄晴」と呼ばれるため、結局芸名を「見栄晴」としたそうです。

「欽どこ」がいかに人気番組だったかがうかがえますね。。

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「欽どこ」終了後~現在

2000年頃

1986年、見栄晴さんが高校3年生の時に「欽どこ」が終了。

見栄晴さんは、このまま芸能界で仕事をしようと考えていましたが、萩本欽一さんの勧めがあり、大学へ進学します(1年で中退)。

その後、タレント・俳優として活躍し、2007年に結婚・第一子が誕生しています。

2007年、ご結婚時の写真

なお、2016年には人気番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」へ出演。

もうすぐ50歳になるにも関わらず、自身が無気力人間であり、「人生で一度も夢や希望を抱いたことがない」と打ち明けて話題となりました。

2019年頃

また、CS放送「フジテレビONE」で放送中の「競馬予想TV!」の司会も長く務めていらっしゃいます。

2024年1月27日の競馬予想TVで下咽頭がんを患っていることを公表し、芸能活動を休止し、治療に専念することをお知らせしています。

2024年
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見栄晴のプロフィールまとめ

ここでは、見栄晴さんのプロフィールについて、簡単にまとめておきたいと思います。

名前見栄晴(みえはる)
本名藤本正則(ふじもと まさのり)
生年月日      1966年11月13日(現在57歳)
出身東京都府中市
身長170cm
血液型A型
家族妻(一般人・2007年4月3日入籍)         
娘(2007年9月25日生まれ)
学歴東京都立調布北高等学校 卒業
東海大学教養学部 中退
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まとめ

この記事では、見栄晴さんの若い頃から現在までの画像をまとめてきました。

柔らかい笑顔が印象的な方ですよね。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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